2014.02.27 Thursday | category : 雑談
来月11日で東日本大震災から3年になります。震災そのものでも広範囲に大きな
被害がありました。そして,福島第一原子力発電所の事故で追い打ちをかけるように
福島県に限らず広範囲に放射性物質が拡散しました。
そして,当時福島県で生活していた私も,その影響で今広島にいます。もう起きてしまった
ことは過去にさかのぼって取り消せないのですから,少なくとも,この震災や原発事故
から日本全体が何か変われば,被災した人も少しは報われるのかなと思いますが
3年経った今,「何も変わってないな」と感じます。
特に,原発政策に関しては,「反対」であれ,「推進」であれ,「維持」であれ,「段階的に
撤廃」であれそれぞれの立場に立つ人間が自分の意見の「デメリット」と真摯に対峙せずに,
言いたいことだけを主張した結果,「原発政策の議論そのもの」が徐々に消えて行っている
現状には悲しさを感じます。
私自身は,「原発政策は最終的に国民が決めるべき」と思い,特定の意見に立つものではありま
せんが,どんな意見の裏にも必ずある「デメリット」をそれぞれの立場の者が過少評価して,
言いたいことを言いっぱなしの議論に,ある種の胡散臭さすら覚えます。
このような状況の下に,政治の場で,原発政策の議論が結果的に空転したという事実について,
政治家の方には猛省していただきたい。
被災者の立場に立っているからこそ,感情的にならない,日本の将来のあり方を国民レベルで
真剣に,そして冷静に語れる土壌は絶対に必要だと主張します。
被害がありました。そして,福島第一原子力発電所の事故で追い打ちをかけるように
福島県に限らず広範囲に放射性物質が拡散しました。
そして,当時福島県で生活していた私も,その影響で今広島にいます。もう起きてしまった
ことは過去にさかのぼって取り消せないのですから,少なくとも,この震災や原発事故
から日本全体が何か変われば,被災した人も少しは報われるのかなと思いますが
3年経った今,「何も変わってないな」と感じます。
特に,原発政策に関しては,「反対」であれ,「推進」であれ,「維持」であれ,「段階的に
撤廃」であれそれぞれの立場に立つ人間が自分の意見の「デメリット」と真摯に対峙せずに,
言いたいことだけを主張した結果,「原発政策の議論そのもの」が徐々に消えて行っている
現状には悲しさを感じます。
私自身は,「原発政策は最終的に国民が決めるべき」と思い,特定の意見に立つものではありま
せんが,どんな意見の裏にも必ずある「デメリット」をそれぞれの立場の者が過少評価して,
言いたいことを言いっぱなしの議論に,ある種の胡散臭さすら覚えます。
このような状況の下に,政治の場で,原発政策の議論が結果的に空転したという事実について,
政治家の方には猛省していただきたい。
被災者の立場に立っているからこそ,感情的にならない,日本の将来のあり方を国民レベルで
真剣に,そして冷静に語れる土壌は絶対に必要だと主張します。